YUMI KORI ART WORKS

2012年6月の記事

ドアのデザイン=空間のデザインをすること。

— Designing Door means Designing Space and Experience. —


「リビングに入るドアのデザインどうしたらいいかしら?」久しぶりにあった友人に相談された。現在、ボストンで自宅の改装中ということ。しかし、ドアのデザインのアドバイスというのは、結構むつかしい。もちろん、ドアは面だからグラフィックのように面的なデザインをすることができる。でも、ドアはその向こうにある部屋の気配をどのくらい感じさせるかという、空間を考慮してデザインするべきだ。さらに、ドアは、こちら側と向こう側の世界をつなぐものだから、時間を伴う空間認識の発想をもってデザインをする必要がある。…つまり、ドアのデザインをするということは、面であり、空間であり、時間のデザインをするということである。

これは、私が以前、改装設計させていただいたH邸のリビングの写真。居間の一角にあるドアをどんなデザインにするべきか、悶々と悩んだ。結果、梨地のようなタペストリーガラスのミニマルな引戸にすることに。あえて面的なデザインをするのはやめて、枠や取っ手などのデティールを消した。そして、光を柔らかく通し、むこう側の世界に淡いあこがれと、物語の予感だけを感じられるような、そんな空間感のあるドアを提案した。

投稿者:yumi |  建築 |  記事本文

映画 My House で見たホームレスの創造的生活。

— Movie "My house" by Tsusumi, introduce a creative life of Homeless. —

「海の幸、山の幸があるように、ゴミは町の幸…」と言いながら、町に転がっている「廃材」で家を造り、「ゴミ」で家財道具をそろえ、「使用済み」の車のバッテリーで電気を得、「自立した生活」を送るホームレスの鈴本さんの生活と、あるサラリーマン家族の「消費しながらゴミを出し続ける普通の生活」を対比しながら、現代の生き方について考えさせられる映画。いつも家の中の掃除や洗濯ばかりしている主婦の姿を見ていたら、掃除するということは「他者の排除すること」だと再認識。それにくらべて、ゴミを有効に使うホームレスの暮らしは「他者との共存する生き方」に見えてきた。社会からはみ出した者が、より社会的であるという皮肉を感じた。
TOKYOゼロ円ハウス(坂口恭平著)を元にして、堤幸彦監督が作った映画らしいが、ロケ地が名古屋ということ、また、白黒映画であることで時代や場所の設定がよくわからないところが、いいなと思った。
家って何だろう、暮らしってなんだろう。様々なことを考えさせてくれるいい映画だった。建築業に関わる人も、一般の人も、一見の価値あり。5月26日封切り、現在、上映中の映画館は、
MY HOUSE のwebsite http://myhouse-movie.com/ でわかるかな?

投稿者:yumi |  アート, 建築 |  記事本文

素材と表現について

— Material and Expression —


これは、先日、ニューヨークにある、Museum of Art and Design で見たアート作品。銀色に光るロープは、ポールとポールを結び、互いに絡み合っている。それは、まるで人と人の絆を表現した作品に見えた。でも、最初はステンレス製か銀製の作品かと思ったが、よくみるとシルバー色に光って見えるのは金属ではなくて、シルバーコーティングされたガラス製。
なるほど。作者の意図がだんだんわかってきた。(といってもコンセプト文を読んだわけではないので、私の単なる曲解である可能性は大。)一瞬、頑丈に見える互いの絆も、実は、簡単に粉々に壊れてしまうかもしれない硝子のようなもの…だということを言いたかったのかしら…?。
形と素材、両方がいっしょになって意味を表現した、興味深い立体アート作品だと思った。

投稿者:yumi |  アート, 旅行 TRIP, 町で出会ったこと |  記事本文