2012年1月の記事
友人の紹介で、社会学者の平尾桂子氏とディナーをご一緒する機会があった。人生について仕事について、いくら時間があっても足りないほど話が盛り上がった。その中でいちばん興味深かったのは人生年表の話。以下、平尾さんの言葉。「手書きでもいいですが、エクセルをおすすめします。基本的には西暦、年齢(自分や家族)とイベントの列を作ります。今までの出来事や仕事の積み重ねを確認することもできますし、将来の目標設定と計画作りにも使えます。ローンの支払い計画や保険の見直しなどにもおすすめですね(笑)あと、クライアントのライフステージの見通しにも有効かと。子どもがいつ、いくつになるのか、表にしてみると意外と早く育つということがが分かりますので、そうした家族構成の変化に対応できる間取りを考えるとか、そんなことにも役立つかも。」ということ。
私も早速試してみた。父母が生まれた年。私が生まれた年…、大学を卒業して、建築設計事務所を始めて、ニューヨークで暮らして…。エクセルにプロットしてみると、自分の人生の時間が、窓の外の風景のように客観的に見えてくる。人生って意外と短いものだなあと実感。あと残された自分の時間、どのくらいあるのかよくわからないけれど、もっともっと楽しく生きようっと!
投稿者:yumi |
日常風景, 町で出会ったこと |
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暖かい日差しが降り注ぐ日曜の昼下がり。ベランダの掃き出し窓の前に新聞紙を広げる。新聞記事を読むのではない。日当たりの良い午後の光を浴びながら、つめを切るのだ。チョン、チョン?or ピン、ピン、ピン?どんな擬態語を使ったらいいのかよくわからないけれど、つめきりが潔くつめを切り離す独特の音色を楽しみながら、左手の親指から順に切っていく。静かな午後の空気に響くそのスロウなリズムをきいていると、なぜかとても平和でゆったりした気持ちになる。あっと言う間に過ぎたこの2週間あまりのことを愛おしく思い出しながら、こんな時でないと丁寧に扱ってもらえない足の小指や薬指をねぎらうように、ゆっくりと丁寧につめをきる。そして全部を切り終わると、心がリフレッシュして幸せになっているのに気づく。削り立ての鉛筆を前に感じる爽やか感とよく似た気持ちかなあ。切ったばかりの私のつめの断面が新鮮な空気に触れて、体の中に太陽の暖かさが入ってくるのを感じる。
投稿者:yumi |
アート, 日常風景 |
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雪が降ると町の風景が変わるだけでなく家の中の風景も変わる。たとえば私の家では、隣家の2階建の屋根がうまい具合に光の反射面となって、3階の窓に下方向からの光が入ってくる。だから、天井面がいつもよりずっと明るくなる。(あいにく私の写真技術ではなかなかそれが写らないが…。)そして、その天井に反射した間接光が部屋全体を優しく照らし、いつもは影になっている部屋の隅が息づき始め、空間の大きさまで違って感じられる。
また、直接光ではなく間接光で照らされると、家具や置物、衣類や食器など、いつも見慣れたものが新鮮に見える。室内に明らかな影がなくなり、すべてものが写真スタジオのような均質な光の中おかれ、ちょうどプロダクトの広告写真の撮影をする時のように、物そのものが純粋な美しさを取り戻すからだろうか。
さらに、よくよく観察すると、光の色そのものが違うことにも気がついた。雪で反射し拡散された太陽光は、雪の潔い白さを携えて若々しくなり、部屋の中にある物の色をビビッドによみがえらせる。
雪がちょっと降っただけで光が変わり、光が変わるといつも見慣れた空間が違ってみえる。そして、知らず知らずのうちに自分の気分まで新しく生まれ変わったように感じられる。
雪のアート効果を発見させてくれた、今年初めての東京の雪に感謝!
投稿者:yumi |
アート, 建築, 日常風景 |
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建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ” という展覧会を見に行った。建築しているのにしていないような、人工物なのに自然のようなふりをして、構築的でありながらランダムに見えるように、デザインしているのに無作為にみせ、、、。「建築する」という行為と、「建築を通して表現する」内容のずれ感を考えさせられる、不思議な展覧会だった。残念ながら展覧会は15日でおわってしまったけれど、この写真の「クラウドスケープ」という作品は、3月22日まで東京都現代美術館で体験できる。展示作品はこの温室のような建物というわけではなくて、その中に作った人工的な雲。一歩はいると粉っぽい空気にむせて咳をしているのは私だけじゃなかったけれど、機会があれば「これからの感じ」を体験してみるのもいい経験かもしれない。
東京都現代美術館 http://www.mot-art-museum.jp/
投稿者:yumi |
建築 |
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晴れやかな朝の光を浴びながら、七草粥を食べた。
白く半透明に輝くお粥に映える、若々しい七草の緑色を楽しんだ後、
スプーンですくって口に入れ、香りを楽しんでからおもむろに飲み込むと、
今度は胃がスーッと気持ちよくなって、心地よいバイブレーションが体に広がる。
私にとって七草粥を食べる習慣は、無病息災を祈る儀式というだけでなく、
食べることを通じて春の息吹を体で感じ、元気を貰う新春の楽しみ。
投稿者:yumi |
未分類 |
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写真:陣馬山頂からみた波のような山並みと雲に隠れた富士山
山は様々な楽しみ方があるとおもうけれど、最近、好きなのは歩きながら大地の起伏を体で感じること。いくらなだらかな山だとはいえ、一瞬バランスを崩せば 谷底に落ちる。そんな危機感を感じながら、でこぼこの山道に瞬間的に呼応して体を動かしている自分自身の様子も同時に楽しんでいる。東京に住んでいると、まっ すぐな道や平らな床に慣れてしまい、次第に周りの環境を読み取ってそれに対処する力が失われていく。山登りをすると、そんな鈍った心身が目覚めるような気 がする。
昨日、今年初めての登山をした。登山といっても陣馬山。山頂はたったの857メートル。それでも相模湖の駅から1時間ほど歩けば、車の音も聞こえなくなり、すっかり 山に入った気分になれる。途中、明王峠で一休みし、富士山を眺めながらお弁当。木漏れ日の美しい植林の尾根道、落ち葉の感触を楽しみながら歩く雑木林、変 化にとんだ行程を楽しみながら、山頂に降り立つと富士見茶屋でいっぷく。約5時間の行程だが、下山する頃には、身も心もリフレッシュしている。特に予定が なければ、週末はいつもこのコースを楽しむことにしている。
投稿者:yumi |
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良い天気に誘われて散歩に出かけたついでに近くの寺に立ち寄った。七福神巡りの新春散歩コースのひとつだったが、今年はなぜか大々的に墓地の売り出しをしていた。半分ぐらいは既に売れていて、その多くは生前建墓だという。生前建墓は「寿陵」といわれ、昔から縁起がよいことになっているらしい。お寺の方(営業マン?の方)によると、「最近、終活ブームで、みんな自分の最期を計画的にするのがはやっているんですよ。」とのこと。
「終活」とは、「最期」の時に向けて、葬儀やお墓の準備を始めることを指す造語らしい。最近、「終活本」ともいうべき書籍や雑誌が軒並み刊行中だという。売れ出されていた墓地は、約45センチ角ほどの土地に墓石がついて140万ちょっと。安いのだか高いのだかよくわからないけれど、毎月の6千円の管理費を万が一滞納したら、3年後にはそこから掘り出されて納骨堂に移されるらしい。終活といった時、どのくらい先まで見通して計画をたてるのか見極めるのは本当に難しい。
私は、自分が死んだ後、永代に渡って毎月6千円払い続けられる自信がないから「寿陵」するのは無理かなあ。
投稿者:yumi |
町で出会ったこと |
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