YUMI KORI ART WORKS

『町で出会ったこと』 カテゴリーの記事

エクセルで楽しむ人生の風景

— Revishioning my life through Excel chart. —

友人の紹介で、社会学者の平尾桂子氏とディナーをご一緒する機会があった。人生について仕事について、いくら時間があっても足りないほど話が盛り上がった。その中でいちばん興味深かったのは人生年表の話。以下、平尾さんの言葉。「手書きでもいいですが、エクセルをおすすめします。基本的には西暦、年齢(自分や家族)とイベントの列を作ります。今までの出来事や仕事の積み重ねを確認することもできますし、将来の目標設定と計画作りにも使えます。ローンの支払い計画や保険の見直しなどにもおすすめですね(笑)あと、クライアントのライフステージの見通しにも有効かと。子どもがいつ、いくつになるのか、表にしてみると意外と早く育つということがが分かりますので、そうした家族構成の変化に対応できる間取りを考えるとか、そんなことにも役立つかも。」ということ。
私も早速試してみた。父母が生まれた年。私が生まれた年…、大学を卒業して、建築設計事務所を始めて、ニューヨークで暮らして…。エクセルにプロットしてみると、自分の人生の時間が、窓の外の風景のように客観的に見えてくる。人生って意外と短いものだなあと実感。あと残された自分の時間、どのくらいあるのかよくわからないけれど、もっともっと楽しく生きようっと!

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どのぐらい先まで見通して「終活」すればいいのだろう。

— I came across "graveyard sales" on New Year day... —

良い天気に誘われて散歩に出かけたついでに近くの寺に立ち寄った。七福神巡りの新春散歩コースのひとつだったが、今年はなぜか大々的に墓地の売り出しをしていた。半分ぐらいは既に売れていて、その多くは生前建墓だという。生前建墓は「寿陵」といわれ、昔から縁起がよいことになっているらしい。お寺の方(営業マン?の方)によると、「最近、終活ブームで、みんな自分の最期を計画的にするのがはやっているんですよ。」とのこと。

「終活」とは、「最期」の時に向けて、葬儀やお墓の準備を始めることを指す造語らしい。最近、「終活本」ともいうべき書籍や雑誌が軒並み刊行中だという。売れ出されていた墓地は、約45センチ角ほどの土地に墓石がついて140万ちょっと。安いのだか高いのだかよくわからないけれど、毎月の6千円の管理費を万が一滞納したら、3年後にはそこから掘り出されて納骨堂に移されるらしい。終活といった時、どのくらい先まで見通して計画をたてるのか見極めるのは本当に難しい。

私は、自分が死んだ後、永代に渡って毎月6千円払い続けられる自信がないから「寿陵」するのは無理かなあ。

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除夜の鐘はすばらしい参加型のアート。

— I love the New Year's Eve Bells! —

明けましておめでとうございます。

大晦日午前零時。家の近くにある安養寺に除夜の鐘をつきにいきました。私は煩悩が多いせいか、この儀式が大好きで、毎年かかさず通っています。鐘をつく瞬間、昨 年あった嫌なこと、反省したいことなどを思い出し、それを払拭するように、そして未来への希望を込めて鐘をつきます。そうすると何もかもがリセットされ て、新しい力を貰えるような気がします。

安養寺は真言宗のお寺のせいか、太鼓のリズムやお経などが賑やかで、お坊さんの声や太鼓の振動と焚火の炎の力をかりて、身も心も浄化されるような気持ちになります。長い行列ができており、若い人達がつぎから次へと鐘をついていました。皆、鐘の前で一礼し、心を込めて鐘をつく。その様子をみていたら、宗教行事というよりは、参加型パブリックアートのように思えてきました。皆、それぞれに過去のこと、未来のことを思い、鐘の音と共に希望の力を貰って帰途についているように見えました。

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そうはいってもショッピングは最高のセラピー

— Shopping is an ultimate therapy session. —

「時々、意味もなくデパートをまわって店員さんとの会話を楽しんだよ。」離婚した直後、孤独だったけど、知り合いとは話がしたくなかったという友人の発言。確かにデパートに行けば、みんなニコニコして話してくれるし、首をちょっとかしげるだけで、次々と私の気に入りそうな品物を並べてくれる。そして、本当はどうかわからないけど「すごくお似合いですよ。」と必ず、ポジティブな答えが返ってくる。自分が何を言っても否定的な態度や言葉をもらわないなんて!確かに、最高のセラピー!。
どうして本当の肉親や友達がいつもポジティブに、優しく支えあえないかというのは永遠の課題だけど、それが真実。・・・そして、その真実から逃れてデパートの店員との嘘の会話を楽しみに行く。・・・だけど、その嘘の会話の方が、カラカラに乾いた私の心に潤いを与えてくれる、思いやりと優しさに満ちた声の響きだったりするのだ。

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もらって複雑な気持ちになる手書きの手紙

— Not 100 % pleasant Hand writing letter. —

今年、受け取った手書きの手紙はたぶん年間通して5-6通だと思う。でも、もらってうれしかったかと聞かれると複雑な気持ちだ。というのも、その差出人はみんな私のよく知らない人たちだから。私が1度か2度買い物をしたブランドショップの店員さん、マンション売買の不動産営業マンとか。・・・みんな親密ささえも商売の道具に使ってるですよね・・・。本当に世の中、狂ってきているような気がする。きっと、その人たちだってビジネスのためには手書きの手紙を書いても、自分の親や友達には手書きの葉書とか書いたりしていないに違いないんですよね。
年末も近くなり、このところ知り合いから転居を知らせるはがきなどを何枚か受け取った。でも、ほとんどができあいのデザインに紋切り型の挨拶文。宛名も印刷されているものも多く、差出人の気配のひとつも伝わらない。
・・・だた、そんなこと言っているくせに自分もしばらく手書きの手紙なんて書いてない。

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監視されてるのが当たり前の日常。

真暗な展覧会場に一歩足を踏み入れると、機械音と共に一斉に無数のLEDランプが動き出す。それぞれにビデオカメラがついていて侵入者であるわれわれ観客の映像を撮り、会場の後ろにあるスクリーンにランダムに映し出す。これは、三上晴子さんの《Eye-Tracking Informatics——視線のモルフォロジー》という展覧会。作品の中に身を置いていると、現代、私たちの置かれている状況が目に見える形で実感できる。残念ながら新宿のICCでの展示は12月18日で終了してしまったが,山口情報芸術センター [YCAM]での展示は,2012年3月25日まで開催しているらしい。
常時接続のインターネット、勝手にメールをスキャンして広告を付加してくるgoogleのGメール、GPS機能付き携帯電話など、監視されているのが当たり前になってしまっている私たち。その上、Face bookやTwitterで、頼まれてもいないのにさらなる個人情報を垂れ流し続けてる。みんな頭がおかしくなっちゃっているのかなあ。わたしもFace Bookやめようかなあ。

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新聞の大きさとパーソナルスペース

— Personal Space and News Paper Size —

電車で新聞を読んでいたら、隣に座ったおばさんから叱られた。新聞は、たて半分に折って読むのがルールらしい。でも、新聞は縦半分に折り畳むととても読みづらいんだもん…。しかし、なぜ新聞社の人がそのような都市的状況に対応してレイアウトを再考してくれないのかは、いつもとても不思議に思っている。

(ちなみにこの新聞を広げている人は英字新聞を読んでいたので,私と同じであまり典型的な東京人ではない可能性あり。)

最近、電車の中で新聞を読んでいる人は滅多に見かけない。それは、新聞の大きさとレイアウトのせいか、活字離れのせいか…。もともと新聞紙のサイズは手漉き和紙の大きさと同じくらい。本当は人間の人体寸法にぴったりあったものだったはず。でも、東京では人間そのものが半分に折りたたまれているのだから、新聞だってそれに従う必要があるってことか。ちなみにニューヨークタイムスなど米国の新聞の巾は日本のより狭いから地下鉄でも折りたたむことなく読める。アメリカ人の方が体が大きいのに、どうしてこんなことになっているんだろう。「新聞紙のサイズ」とgoogle したら紙の大きさの変遷、由来などの関連情報がのっていた。こんどゆっくり調べてみることにしよう。

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