空白は、異次元への入り口。
— Vacant land invite us to the uncertain time and space. —
空家の雨戸に、
太陽が降り注いでいる。
残された空白は、
空飛ぶ絨毯、
異次元への入り口。
空家の雨戸に、
太陽が降り注いでいる。
残された空白は、
空飛ぶ絨毯、
異次元への入り口。
お正月休みは、執筆に専念。毎日、1時間の散歩だけが心の休憩時間。…しかし、散歩は行く先々でたくさんの発見があっておもしろい。1,2,3,4,5,6,…、無数の電線が複雑に絡み合う空をみていたら、これは、どう考えても外部空間ではないなあーと思えてきた。町は、すっぽりインテリア化されている。
「なんだ、この時計、1時間進んでいるじゃない!?」いやに時間が早く過ぎるなーと思いながら、ばたばた支度をし、ふと携帯をみるまだ朝の9時だ。机の上の時計はもう10時を過ぎているというのに。「あ、それね。おしゃれだと思って飾ってあるだけだから。」え?狂った時間の時計を置いておいたら紛らわしいじゃない、と私が怒ると、「だってその時計どうせ見にくいから見やしないし」と母。それなら、こんなところにおいておかなければいいのに再び言うと「だっておしゃれだから」と困ったように言いながら、「あ、それ、きっと電池がないから時間が狂ったんだよ。電池を買いに行こう。」と素涼しい顔をして話題を変える。ーーーこの一連の母との会話。まるで昔見た不条理劇の一場面の様で、苦笑いしてしまった。
ーーーしかし、時計がこんなにも機能とデザインの交差点に位置するプロダクトだという事を改めて再確認した。建築における機能とデザインの関係より、もっとシビアな関係なんだなーと、再認識することができた有意義な朝になった。
しかし、建築家たるもの、時計が狂った時間を刻み始めても、お払い箱にしない優しさと知性を持ち合わせるべきだろう、と深く反省した!?。
久しぶりに公園のジャングルジムに登ってみた。普通よりちょっと高い視点、透明な山の中に立っているようで、不思議な浮遊感がある。てっぺんに登りながら、ジャングルジムの格子の様子を上から観察すると、そこに、水平、垂直方向に、様々な道があり、それらが絡み合い、立体迷路になっていることに気がついた。そういえば、ジャングルジムで遊んだのは、もう何十年も前のこと。そのころは、ジャングルジムの平面、断面プランに思いをはせることもなく、ただ、遊んでいたからねー。
しかし、見れば見るほど、ジャングルジムは建築だ!
青い空を見ながら思った。今まで見たこともないような新しいジャングルジムの設計してみたいなーって。
「人間はコンピューターと結婚できる」と、例によって過激な発言してから、コロンビア大学の工藤国男先生が話を始めた。映画 SIMONE の中に出てくる、コンピューターのシュミレーションで作られた架空の美女が、いつの間にか人々の心の中にリアルな人間として生き始める話。映画2001年宇宙の旅で最後にたどり着いたクラシック調の部屋は、主人公の記憶をもとに作った空間だという話。それらの映画について聞いているうちに、人間はコンピューターに恋できると私も確信した。というか、これは、コンピューターの能力の問題ではなく、人間の問題。つまり、人間は、相手がコンピューターだろうが、実在する人間や建物であろうが、そこに実際にいる人や物をそのまま見るわけではなく、自分のみたいものを頭の中で作り上げ、それ見て勝手に恋したり懐かしがったりする動物なのだと再確認したっと言うべきか。…だから相手がコンピューターだって全然かまわず恋できるにちがいないのだ。
AIやコンピューターについて考え始めると、やっぱり人間のことを突き詰めることになる。(ーたぶん、今回のテーマとは、ちょっとずれているような気がするけれど…)
Round table discussion by Kunio Kudo, Daisuke Hirose @Shibaura House on December 12th, 2012
「2分あれば、自分のいいたいことは言えるはず。」シンポジウムの進行役を務められた連健夫氏がおっしゃった。先日、ひらかれたJIAの横浜大会での「3.11とグローカルデザイン」というシンポジウムでのこと。そうそうたるメンバーのパネラー7人とコメンテーター2名に、つぎつぎと課題を与え、それぞれ2分以内でのコメントを求める形式がとてもおもしろかった。たとえば、「原風景」と関連づけながら、「継続性」「再編集」「仮設性」「移動性」「身体性」「材料性」「人のつながり」「偶然性」という題目を提示し、それに関してひとり2分づつ話をしてもらう。すると、各パネラーの口から次々と興味深いキーワードが飛び出した。会場の雰囲気は終始、活気があって、パネラーも会場の聴衆も、頭が全速力で回転しているのがわかった。それぞれのコメントは、グローカルデザインという会のテーマの周辺を微妙な距離で取り巻いており、ローカルとはなにか、グローバルとはなにかを再考させてくれた。
改装中の現場にて。古いフローリングの上に新しいフローリングを接着張りしている職人さん。よく見ると、それは一筆書きの絵画。一つ一つがよく似ているのに微妙に違うアート作品の様に見えた。
ちなみに、本当はこんなに接着剤を使いたくはないのだけれど、今回は既存フローリング下の、温水床暖房を生かしながら改装をしなければならないという条件のため、釘が使えず、やむなくこのような接着に頼る施工方法になった。。。