YUMI KORI ART WORKS

『アート』 カテゴリーの記事

アート作品に浸る@PS1-MOMA

— The art you can dive in. —

PS1 (パブリックスクール1の略)は、もともと学校だった。今は、MOMAと提携し、美術館として使われている。ほとんどの作品は、壁に掛かったアートを鑑賞するというスタイルではなく、アート作品そのものの中にドップリ浸かるタイプの作品。これは、surai lurolwong というタイ人の作家の作品で、産業廃棄物である糸くずを集めてプールを作り、観客はその中に入って楽しむ。おまけに、この糸くずのどこかに金のネックレスが隠されているらしく、見つけた観客はそれを持ってかえっていいという。消費文化を問い直す作品だ。その作品のメッセージを観客が解しているかどうか不明だったが、みんな色とりどりのふわふわの糸くずの中に入って座ったり寝転がったりしながらリラックスして作品を「鑑賞」していた。

私も仲間入りして足を一歩踏み入れると、一瞬バランスを崩した。思ったより深くって4-50センチはある。まさに体感するアート。コットンの糸玉は、見ているだけで楽しくなるような配色で、おまけに肌触りも良い。しばらく作品に浸っていたら、幼いころ好きだったぬいぐるみやタオルの感触が混ざったような、やさしい懐かさを感じた。

 

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ニューヨーク大聖堂での展覧会

— Site changes the impression of the art piece. —

ニューヨーク大聖堂(the Cathedral Church of St. John the Divine)は、コロンビア大学のすぐ裏にある教会。1892年から建設が始まり、現在も建築中であるが、完成すると、世界最大のゴシック大聖堂となるらしい。そこで、Value of Water (水の価値)という題名の展覧会が行われ、30以上のアート作品が展示されていた。なぜここに「飾る」必要があるのか疑問な作品も多くあったが、このBill Violaのビデオ作品は、この場所に設置されたことで作品はより素晴らしく感動的なものになり、教会の空間はその魅力を増していた。実は、この作品は以前ギャラリーで見たことがあったが特に感動はしなかった。それなのに、その同じ作品をこの教会で見ていたら、ビデオに撮られている「水に潜って水面を見上げた時に見える光」が、天から届く神秘的な光に思え、宇宙の不思議を感じた。これこそサイト・スペシフィック・インスタレーションの成功例!

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言葉なんていらない。

— film " the Artist" reminds me to think if we need to speak. —

機中でartist という映画を見た。これは、サイレントフィルムから音声入りのトーキー映画に切り替わる1930年頃をテーマにつくられた映画で、映画自体が白黒でおまけにサイレントフィルム。それだというのに、最近アカデミーショーを受賞したというから、興味しんしんだった。感想としては、「役者のしゃべりがなくて、こんなに感動するのだとしたら、言葉なんていらないのでは。」音楽、演技、カメラワーク、すべてがひとつになって言葉を超えた「ことば」を作り出していた。
機内で「言葉」と「振る舞い」が乖離した、慇懃無礼なフライトアテンダントの態度を見ていたら、ますます「言葉」の意味を考えさせられてしまった。

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そらとうみのあいだ

— the Sky, the Sea, layers meet and I become transparent. —


夕焼け雲が映りこむ湖面に遊ぶ鯉の群れ。
鯉は天空を泳ぎ、水の色は刻々と変わる。
空と海がこうしてひとつに重なり、
夢の中に現れるかの幻想的な映像を見ていると
天地が逆転したような錯覚を覚え、
自分が透明になってしまったように感じる。
足下が揺らぎ、平行感覚がなくなった瞬間、
鴨が一羽、その絵画に入り込み、
映像は現実に戻った。

ニューヨークから友人が訪ねてきた折りに木場の美術館を案内し、
ついでに黄昏時の清澄庭園を訪ねた。そこで出会った風景の日記。

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幸せを感じる瞬間-つめきり編。

— Nail clipping made me happy in Sunday afternoon. —

暖かい日差しが降り注ぐ日曜の昼下がり。ベランダの掃き出し窓の前に新聞紙を広げる。新聞記事を読むのではない。日当たりの良い午後の光を浴びながら、つめを切るのだ。チョン、チョン?or ピン、ピン、ピン?どんな擬態語を使ったらいいのかよくわからないけれど、つめきりが潔くつめを切り離す独特の音色を楽しみながら、左手の親指から順に切っていく。静かな午後の空気に響くそのスロウなリズムをきいていると、なぜかとても平和でゆったりした気持ちになる。あっと言う間に過ぎたこの2週間あまりのことを愛おしく思い出しながら、こんな時でないと丁寧に扱ってもらえない足の小指や薬指をねぎらうように、ゆっくりと丁寧につめをきる。そして全部を切り終わると、心がリフレッシュして幸せになっているのに気づく。削り立ての鉛筆を前に感じる爽やか感とよく似た気持ちかなあ。切ったばかりの私のつめの断面が新鮮な空気に触れて、体の中に太陽の暖かさが入ってくるのを感じる。

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雪の反射で光が変わり空間が変わる。

— Snow changes the light, thus the Space is changed. —


雪が降ると町の風景が変わるだけでなく家の中の風景も変わる。たとえば私の家では、隣家の2階建の屋根がうまい具合に光の反射面となって、3階の窓に下方向からの光が入ってくる。だから、天井面がいつもよりずっと明るくなる。(あいにく私の写真技術ではなかなかそれが写らないが…。)そして、その天井に反射した間接光が部屋全体を優しく照らし、いつもは影になっている部屋の隅が息づき始め、空間の大きさまで違って感じられる。
また、直接光ではなく間接光で照らされると、家具や置物、衣類や食器など、いつも見慣れたものが新鮮に見える。室内に明らかな影がなくなり、すべてものが写真スタジオのような均質な光の中おかれ、ちょうどプロダクトの広告写真の撮影をする時のように、物そのものが純粋な美しさを取り戻すからだろうか。
さらに、よくよく観察すると、光の色そのものが違うことにも気がついた。雪で反射し拡散された太陽光は、雪の潔い白さを携えて若々しくなり、部屋の中にある物の色をビビッドによみがえらせる。
雪がちょっと降っただけで光が変わり、光が変わるといつも見慣れた空間が違ってみえる。そして、知らず知らずのうちに自分の気分まで新しく生まれ変わったように感じられる。
雪のアート効果を発見させてくれた、今年初めての東京の雪に感謝!

投稿者:yumi |  アート, 建築, 日常風景 |  記事本文

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