自然と一体化した?住まい
— A Real Green House in Tokyo —
近所で見つけた不思議な風景。
緑に覆われ、植物の一部と化したこの住まい。
この中に閉じ込められているのは、どんな暮らしの思い出…?
東京にも、こんなに強い「自然」が生きているのだと、びっくりした。
近所で見つけた不思議な風景。
緑に覆われ、植物の一部と化したこの住まい。
この中に閉じ込められているのは、どんな暮らしの思い出…?
東京にも、こんなに強い「自然」が生きているのだと、びっくりした。
新宿で小劇場を主催している叔母に久しぶりにあった。最近のおもしろい演劇は?という話をしていたら、「劇場の中にお化け屋敷をのような空間をつくる作品」があるという。観客はひとりひとり別々に劇場を回って、役者に出会いながら『演劇』を鑑賞するという。日常とは全く違う次元に身を置いて演じる役者と対峙した時、自分の存在とか、自分いる空間が急に不思議に感じられるに違いない。インスタレーションとアトラクションが混ざったような新しい形式のようで楽しそう。機会があったらそんな演劇、是非、みてみたい。
ニューヨークを歩いていると、林立する摩天楼で切り取られた空が気になってしようがない。
フォトショップで逆さに切り取ってみると…、ね?青空が透明の塔みたいに見えるでしょ?
現在、本を執筆中。原稿に追われて、ずっとブログをお休みしてたけどそろそろ再開しまーす。
美術館に入ったとたん目についたのが、この高窓の前に作られた不思議な縁側空間。コンセプトの作品の意図もわからないまま、「あそこに登って、寝転がって窓から外の景色を見ていたら、気持ちが良いだろうなー」と、思った。しかし、その後、川俣氏がビデオのインタビューで、ファベラに影響されたという話をしていて、わたしの直感はあたったかなと思った。(ファベラは、ブラジル語で、スラムに建つバラックという意味。)
Expand BankART という題名のとおり、いままで考えたこともないような居場所が会場内にランダムに、でもある意味とっても注意深く場所が選ばれて作られていた。それらの「ファベラ」の存在によって、バンクアートの空間が、いままでよりずっと変化に富んで感じられた。
横浜BankART Studio NYKで開催されていた川俣正氏の展覧会。
住むということ、棲むということ、いろいろ考えさせられた。
一瞬、目を疑うほど、その「建物」は美しかった。
薄絹で織られた楼閣の頂上は、光を受けて半透明になり、青い空に溶けていくようだった。
ーーーしかし、仮囲いに覆われた「建物」が、より美しく見えるのは、どうしてだろう?
その薄絹の下に思いをはせる想像力が、私たちの心を目覚めさせてくれるからかしら?
お正月休みは、執筆に専念。毎日、1時間の散歩だけが心の休憩時間。…しかし、散歩は行く先々でたくさんの発見があっておもしろい。1,2,3,4,5,6,…、無数の電線が複雑に絡み合う空をみていたら、これは、どう考えても外部空間ではないなあーと思えてきた。町は、すっぽりインテリア化されている。
今年もまた、近所にある安養寺で除夜の鐘をついた。列になって一時間以上も待っている時の寒さがまた、身を清めてくれるようで心地よい。他の人の鐘の音を聞きながら、去年あったことを心の中でなぞり、来年の抱負を思う。そして、私の番になると、去年あった嫌だったこと全部が鐘の音と共に供養されることを思って、一発入魂でゴーンと鐘を突く。ああ、いい気持ち!。
そして、今日は、快晴!元旦。生まれ変わった様にさわやかな気分だ。
あけましておめでとうございます!